雨、時々すばる

底辺私文生がお送りする、限りなく意識の低い読書録。

『語学の天才まで一億光年』を読んで

 

概要

 

学んだ言語は25以上の筆者が記す、語学青春記。

取材に行く前に必ずその地域の言語を学ぶ著者。本書ではネイティヴに習う、テキストを自作するなどユニークな学習法も披露。

 

言語とは何か。深く楽しく考察し、自動翻訳時代の語学の意味を問う一作。

(前書きより作成)

 

まとめ

 

筆者はインド、アフリカ、ヨーロッパ、南米、東南アジア、中国をめぐり、現地の人々と交流し、様々な体験をする。

リンガラ音楽に触れたり、フランス語に奮闘したり、女学生に囲まれてタイ語を学習したり、言語のワ語を教えたり……

 

筆者は言語を通して、「人間はみな同じなんだな」「言語はみな美しい」と思うようになったそうだ。

 

その理由が、本書を読了後、わかるかもしれない。

 

感想

 

最近、久々に語学の勉強を再開した。と同時に、この本に出会い、深く感動した。

 

様々な言語を直接学び、現地の方と打ち解けてコミュニケーションをとる著者の姿は、まるで「世界に関わる人」としての先駆者のように思えたからだ。

 

インターネットもスマホもない時代、ありとあらゆる手段で、人びとと関わろうとする筆者の行動力と情熱には見習うものがある。

 

一つの言語だけにとどまらず、沢山の言語に触れる姿もまた、国際化する社会に生きる現在の人々が見習うべき一つの目標となるだろう。

 

本著の中に「もっと一つ一つの言語を地道に学習すればいいと自分でも思う。でも私は(省略)次から次へと新しい言語をつかまえては習って現地の人と話してみたくなる。」と書かれている。

 

しかし私は、その彼の性格こそが、本書に書かれたフィクションのような体験を成し得たのではないかと考える。

 

仮に一つの言語のみ学び続けていたら、一つの価値観にとらわれ、固執してしまっていたかもしれない。

彼の「人間はみな同じ」という一見単純なような価値観は、様々な人びとと関わり、景色を実際に体験し、言語を学んでいったからこそ培われたものだと私は思う。

 

しかし私は、人生の中で海外に留学したことはおろか、海外へふらっと行った経験すらほとんどない。

 

しかも、恥ずかしながらセンター試験の英語では散々な目にあい、暫く語学はお休みするつもりで今日まで過ごしてきた。(をいをい……)

 

著者の生き様を本越しに眺め「このままでは自分、今後の国際化社会の波に置いて行かれそうな気がしなくもないな」と実感した。

何も、語学学習とはただ教科書や単語帳を眺めるだけの机上の勉強だけではない。

現地の方やその国に住んでいる人々とコミュニケーションを取り、日常生活や歴史や価値観を学ぶことも含めて「語学学習」と言えるのではなかろうか。

 

本書を読み、改めてそう思いつつも、中々習慣化してしまった机上のみの勉強を辞められない自分であった。

 

何時になったら難なくコミュニケーションを取れるようになることやら。

とほほ。

 

出典 高野秀行『語学の天才まで一億光年』集英社インターナショナル 2022年9月